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「入れ歯が1か月待ち」“歯科サプライチェーン崩壊”に製造業DXの知見で挑む

歯科医療・歯科技工所業界のデジタル化を推進するエミウム株式会社

連載
このスタートアップに聞きたい

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 日本の歯科材料の研究開発や技術水準などにおいて世界的に高い評価を受けている。だがその一方で、歯の詰め物や入れ歯を作る「歯科技工士」の数は年々減り続け、歯科サプライチェーンは、「入れ歯を作るのに1か月待ち」というのもざらではないという。その現状を打破するべく、製造業DX・AIの知見とクラウド技術を武器に立ち上がったのが、東京科学大学発ベンチャー(旧東京医科歯科大学発ベンチャー)のエミウム株式会社だ。

 同社は、歯科技工の基幹業務を支援するクラウドサービス「エミウムクラウド技工」と、デジタル技工業務を受託する「エミウム 技工センター」を展開。ソフトとハードの両面から、歯科業界の課題解決に取り組んでいる。今回は、エミウム株式会社 代表取締役の稲田雅彦氏に、事業の背景とその先に見据える展望について話を伺った。

歯科技工所の課題と歯科デジタル化の加速

 稲田氏は、2013年にオンデマンド製造プラットフォームの株式会社カブクを創業し、製造業DXの先駆者として注目を集めた人物だ。「私は東大阪の工場町で育ちました。当時、小さな町工場が次々と姿を消していくなか、この現状を変えたいとカブクを起業しました」と語る。

 大学で学んだAIやDXの知識を活かし、高精度な3Dプリンターなどを用いて短期間での製品試作を可能とする「ラピッドプロトタイピングマニュファクチャリング」の手法を製造業に導入。これがトヨタやホンダをはじめとする大手メーカーに採用された。2017年には大手メーカーによるM&Aを経て、ひとつの事業的成功を収めている。

 同氏が「歯科技工」へと視野を広げるきっかけとなったのは、当時のカブクで構築した巨大な3Dプリンターやミリングマシン(切削加工機)を持つ工場とのネットワークだった。「中でも1億円を超えるような金属プリンターを所有していたのが、現エミウム社外取締役の樋口鎮央先生が取締役をされている大手歯科技工所でした」と稲田氏。樋口氏は、歯科技工最大手・和田精密歯研の元常務取締役であり、この出会いが稲田氏と歯科業界をつなぐ最初の縁となった。

 歯科医療は、「患者を診断・治療する歯科医」と「入れ歯や補綴物を製作する歯科技工士」との分業体制が基本であり、医療サービス業と医療製造業を併せ持った構造を持つ。近年は歯科技工士の高齢化や、低賃金を背景とした若年層の離職が相次ぎ、深刻な人材不足に直面している。2018年には約3万4000人いた歯科技工士が、2040年には約1万2000人まで減少すると予想されている。

歯科技工所の人材不足は深刻

 業界としてもこの危機が見えていたため、2014年ごろから歯科医院や歯科技工所への歯科用3Dスキャナー、3D CAD、ミリングマシンの導入が進み、現場のデジタル化が始まった。

デジタルによる技工物製作が2014年から2022年までに192%増加

 ただし、歯科医側では3Dスキャンが保険適用外であったため、従来通り歯型を手作業で取り、模型を歯科技工所に送付し、技工所側で模型をスキャンして、CADで設計する――という手順を踏む必要があった。

 この状況を大きく変えたのが、2024年6月に始まった「歯科用3Dスキャナーの一部技工物への保険適用」だ。

「歯科医が歯型を手作業で取る必要がなくなり、3Dスキャンデータを直接技工所に送信して、保険適用されている一部の歯科技工物を製作できるようになりました」(稲田氏)

 保険適用外のインプラントやマウスピース矯正といった自由診療ではデジタル化が進んでおり、都市部では多くの歯科医院が3Dスキャナーを導入している。業界としても、3Dスキャンの保険適用により、歯科のデジタル化を加速させる見込みだ。

「小さな技工所」のデジタル化を支える「エミウム 技工センター」

 とはいえ、多くの歯科技工所は3人未満の零細企業であり、高額なミリングマシン等の導入は困難だ。また、歯科技工士の5割が50代以上を占め、CADを扱える人材も不足している。

 そこでエミウムは、小規模な歯科技工所向けに、CADデザインや削り出しを適正価格で提供する「エミウム技工センター」を立ち上げた。

 同センターでは、製造業で培ったデジタル製造技術やAI技術を活用し、東京医科歯科大学との連携による熟練技工士の技を組み合わせることで、技工物の設計・製作業務の効率化をサポートしている。

歯科技工物の製作サポートサービス「エミウム 技工センター」

 具体的には、高性能な最新ミリングマシンの導入、国内外の主要材料メーカーからの一括仕入れにより、高品質かつ短納期・適正価格を実現。24時間受付のネット注文で全国送料無料・最短2日での納品が可能だ。

 専門人材や設備を持たない技工所でも、デジタル工程に手軽にアクセスできる。

 利益率の低い部分加工品を外注し、自社は付加価値の高い技工物製作や仕上げに専念することで、残業時間の低減と利益率改善に役立っているそうだ。

歯科医院と歯科技工所をつなぐ基幹業務クラウド「エミウム クラウド技工」

 もうひとつの課題は、歯科技工指示書の「紙文化」だ。

 歯科医院が技工物の制作を依頼する際には、法律により模型やスキャンデータとともに「歯科技工指示書」を添付することが義務付けられている。だが、現状では手書きが中心で、指示が不明瞭なことも多く、電話での確認が頻繁に発生している。

 「診療中は歯科医師が電話に出られないため、作業が止まってしまうこともある」と稲田氏。

手書きの指示書は読みづらい

 「3DスキャナーやCADソフトは普及しつつありますが、それらは“点”のデジタル化に過ぎません。ITやソフトウェア分野の整備が遅れており、“線”や“面”としてのDXは歯科領域では途上であるのが現状です」(稲田氏)

 技工センターに続いて、2023年にサービスが始まったのが、歯科技工の基幹業務を統合するクラウドプラットフォーム「エミウム クラウド技工」だ。

「エミウム クラウド技工」

 本サービスは、「歯科技工指示書」「受注管理」「帳票管理」の3機能を備えている。

「エミウム クラウド技工」の3つの機能

 特に革新的なのが、従来紙でやり取りされていた「歯科技工指示書」のデジタル化だ。

 これまで紙が当たり前とされてきた背景には、個人情報保護の観点からの慎重な姿勢がある。法律上、デジタル化を禁じられているわけではなかったものの、業界内では「紙でないといけない」という共通認識が根強いという。

「受注管理や帳票はある程度デジタル化されていますが、歯科技工指示書だけは9割以上が紙ベースです。さらに3Dスキャンデータは別途メールで送られてくるため、管理が煩雑で非効率になっていました」(稲田氏)

 この課題を解決するため、エミウムは技術開発だけでなく、日本歯科医師会・歯科技工士会と連携し、制度面からもDXの推進を図っている。

クリニック側はタブレットで歯科技工指示書を入力。共通フォーマットで管理しやすい

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