業務を変えるkintoneユーザー事例 第265回
広島のものづくり企業が挑んだ属人化とザ・昭和スタイルからの脱却
スーパー営業マンKさんが去る ピンチに陥った工場を1ヶ月で作ったkintoneアプリが変えてしまう
2025年06月05日 09時00分更新
わずか数ヶ月で売上を100倍伸ばしてしまったスーパー営業マンが辞める。追い打ちをかけるように来た顧客からのクレーム対応で赤字に。広島のものづくり企業である平岡工業が苦しんだ業務の属人化とザ・昭和スタイルは、kintoneで解決できたのか?
2回目の開催となる広島のkintone hiveで披露されたのは、そんな製造業の生々しい業務改善ストーリー。社長のオーダーで開発経験ゼロの担当者が作ったkintoneのアプリは、たった1ヶ月で平岡工業を変えてしまう。
「手書き書類がたっぷり」「努力と根性」「毎日、夜まで仕事」
kintoneユーザーが事例を共有するkintone hive。広島会場でトップバッターを務めたのは地元広島のものづくり企業である平岡工業。登壇した代表取締役社長の平岡 良介氏は、テンションMAXで会社と自己紹介からスタートさせた。
平岡工業は良介氏の曾祖父にあたる平岡浅次郎氏が1937年に創業したものづくり企業。「カタにハマらないものづくりのプロ集団」を謳い、自動車部品の金型や自社工作機械の製造、精密部品加工などを得意としている。自動車のドアのゴムシールパッキンなどのほか、地元広島の銘菓であるもみじまんじゅうの金型なども作っているという。
現社長である平岡良介氏は、3歳から音楽を始め、大学に組んだメロコアバンドは、20歳でCDを出し、モンゴル800や10FEETとも共演しているという。「楽屋ではモンゴル800に説教していましたが、その1週間後、彼らは100万枚売れていました(笑)」とのこと。
平岡氏は東京に上京し、プロになることを目指したが、音楽教室での指導歴30年間の母親から「あんたごときの才能で飯が食えるか。悔しかったら、広島で一番になってみんしゃい」と言われ、実家の平岡工業で働きながら、音楽活動を続ける。2005年には2枚目のCDをリリースし、全国ツアーも敢行。だが、その後限界を感じて25歳で音楽活動を終了したという。
音楽活動を中心に据えていた登場の平岡氏にとって、平岡工業での仕事は「お金を稼ぐための手段」に過ぎなかった。しかし、2020年のコロナ禍で状況は一気に変わる。「人々を救うのだーー!」と沸騰した平岡氏は、緊急事態宣言の3ヶ月後の2020年7月という段階でいち早くフェイスシールド「HIRAX AIR」を発売。パリコレや全国の病院で採用され、2021年のグッドデザイン賞まで獲得したという。その後、G7 サミットの国名プレートを担当したり、ビームスとのコラボ商品が出たり、まさに順風満帆のように見えたが、実は大きな課題が残っていたという。
このタイミングで、もう1人の登壇者である平岡工業 SCII事業部 主任の石井英一郎氏が自己紹介を始める。社長の同級生である石井氏の実家は鉄工所だが、贈答用のフルーツを販売したり、パフェやジュースを調理したり、まったく違う方向に職を変えてきた。しかし、40歳のときに工業界に身を置く決心をし、2020年に平岡工業に入社する。
石井氏が技術営業を務める精密部品加工・調達代行センターは、ポンチ絵の仕様書から安くて、短納期の部品を調達代行してくれる。ただ、当時は「手書き書類がたっぷり」「努力と根性」「毎日、夜まで仕事」というザ・昭和スタイルだったという。登壇した平岡工業の2人は、平岡工業のような典型的な鉄工所の課題を、コント仕立て、もといドラマ仕立てで紹介する。
スーパー営業マンの退職に追い打ちのクレーム でも「担当者しかわからない」
課題は、社長のいとこであるKさんの退職から始まった。Kさんは当初10万円だった売上をわずか数ヶ月で1000万円に伸ばしてしまったスーパー営業マン。そんなKさんの退職に「なんとかなるっしょ」とかまえていた平岡氏だったが、Kさんに頼りっぱなしで属人化していた業務も多く、わからないことだらけだった。そんな矢先にKさんが担当していた取引先から、納品した商材が違うというクレームが入る。
石井:社長、サメハダ商事からクレームが入りました!
平岡:なにーーーー?
石井:寸法が違うというクレームです
平岡:すぐに品番を追え!
石井:わかりました! ええと、発注先も、図版もない。品番はわかりましたが、いつの間にかKさんが発注していたらしく履歴が追えません!
平岡:なにーーーー? 今すぐ書類を全部探せ
(4時間後)
石井:社長、書類が見つかりました!
平岡:でかした!
石井:ただ、(発注先の)中国が春節に入っておりまして、10日後にしか作り直しができないみたいです
平岡:それじゃあ、賠償ものじゃないか! なんとかならないのか?
石井:日本で作り直すしか……
平尾:いくらかかるんだ?
石井:ざっと120万円はかかるかと
平岡:受注額はいくらだ?
石井:80万円なので、40万円の赤字です!
平岡:ううううー。今すぐ発注だ!
石井:わ、わかりました!!
結果、日本での作り直しが可能になり、クレームを出してきた発注先も納得。「いっしょに徹夜したかいがあったな! これで一件落着!」と平岡氏はコメントするが、がんばっても残ったのは40万円の赤字……。一件落着なわけはない。
以前の平岡工業はこうしたレガシーな業務の課題が山積していた。すなわち「注文履歴が追えない」「入荷時期もわからない」「商品の原価もざっくり」「値付けもざっくり」、そしてクレーム騒動で顕在化した「クレームが起こったとき、担当者しかわからない」といった課題だ。
1ヶ月でここまでできた 今まで見えなかった業務がkintoneに載る
そして平岡工業のこの課題を解決したのが、社長の平岡氏が見つけてきたkintoneになる。「文系管理職なのに~シュシュッと業務アプリが作れる」というCMの謳い文句にまんまと載せられた平岡氏は、「おそらくだが、オレたちのやりたいすべての管理ができる」と石井氏にアプリ作成を依頼する。
社長からの依頼に対して「ちょっとだけよ~。ダメそうならすぐ辞めますからね。今日も書類は溜まってるんですから」と念押しし、kintoneを使い始めた石井氏。しかし、サンプルアプリの注文履歴、原価管理、スケジュール管理などを見た段階で、「これはうちの課題が解決するのでは?」と、アプリ作成にのめり込んでいくことになる。
さて1ヶ月後、石井氏はアプリを社長に見てもらうことにした。「1ヶ月の間にここまでできるのか」という力作は、商談開始から見積もり、受注、発注、納品までカバー。お客さまとの商談を受けて、アプリで見積を作成し、ワークフローで承認されるというもの。すごい。
たとえば、以前は手書きとExcelが混在していた受注。年間数千枚は手書きで作成しており、月に40時間以上を費やしていた。Excelの場合は、複数名で同じExcelを使用すると、どのデータが最新なのかわからなかった。しかし、kintone導入後は承認された見積もりが受注データとして使われるので、データの二重入力がなくなった。入力項目を必須化することで、漏れやうっかりミスも撲滅できたという。FAXで送っていた指示書もボタン一発で作成でき、上司の承認もアプリで完結できるようになった。
取引先への発注もkintoneで管理することで、納期、進捗などを一目で確認できるようになった。また、不具合対策として、トラブルに対する迅速なエスカレーションや再発防止を会社全体で共有化できるようになったという。さらに原価計算も実現しており、案件ごとの原価推移を購買部門がしっかり予実管理できるようになった。
鍵はアナログ大好きの中村先輩 ベテランも若手もみんなでkintone
平岡氏は「全部できとるやんけ!」と驚く。「焼き鳥をおごってもらってもよい。なんならパイチューも付けてOK」(平岡氏)くらいの成果だったが、当然1人でここまでできたのか?という疑問が沸く。これに関して石井さんは、いまだに黒電話を利用するアナログ大好きの中村先輩にも手伝ってもらったと説明。石井氏自身もサイボウズの公式ヘルプやCybozu Developer Network、ユーザーのkintoneユーザーからの情報で学んだという。
ただ、中村さんはkintoneがきっかけでアプリも作れるようになり、会社のスマホも使えるようになった。さらに先輩の中村さんがアプリを作り始めたことで、社内のDX反対派の職員も賛成派に変わり始めたという効果をもたらした。ベテランの巻き込みは、やはり大きい。
kintoneのおかげで、石井氏の売上も倍増し、スーパー営業マンKさんの売り上げを余裕で超えるようになった。さらに今では顧客管理やスケジュール管理も可能になったので、クレームが起こってもすぐに対応できるという。「ま、未然に防ぎますけどね」と石井氏の余裕ぶりがなんだかすごい。ただ、ご褒美は焼き鳥でも、給料UPでもなく、「好きなもの飲んでいいぞ」と2人で缶コーヒーを飲むというオチで、コント仕立て、もといドラマ仕立ての寸劇は終了。最後にkintone導入のまとめに入る。
kintone導入まではどこになにがあるかわからない状況、誰かに聞かないと情報が出でこない状況だった。しかし、kintoneの導入で念願の見える化が実現し、全員が情報を確認できるようになった。「DX反対派のベテランと賛成派の若手が融合し、本当のチームになることができました」と平岡さんは聴衆にアピールする。
「現場の感覚を言葉とデータで残すことが本当のDX」と石井さんは語る。作業効率を上げたり、属人化を解消するだけがDXの目標ではない。製造業の知識、職人の技術をデータで残し活かすことが、製造業を未来につなぐ架け橋となるという。kintoneによって、ものづくりの歴史を未来につなげられると確信する2人は、「ものづくりの未来は自分で創る。カタにハマらない、ものづくりのプロ集団として、平岡工業は進み続けます!」と会場にアピールし、「引き続き、ご安全に!」と製造業らしくセッションを締めた。

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