【JSTnews5月号掲載】特集2
脳機能の解明だけじゃない!「多機能ファイバー」の活用で描かれる多彩な可能性
2025年05月22日 07時00分更新
脳の中では、神経細胞による電気信号と、神経伝達物質やイオンなどといった化学物質を介して、情報が伝達されている。脳機能を解明するためには、これらの信号を詳細に測定する必要がある。東北大学学際科学フロンティア研究所の郭媛元(グオ・ユアンユアン)准教授は、細い多機能ファイバー1本の中に測定装置を搭載して、さまざまな生体内外の信号を同時に測定することを目指している。郭さんが「バイオファイバトロニクス(Biofibertronics)」と呼ぶ研究分野の幅広い可能性に迫る。
電極などを搭載したワイヤ
金太郎飴と同様の製造方法
脳の神経細胞同士が電気信号で情報を伝えることで、私たちはさまざまな活動ができている。しかし、神経細胞間にはシナプスと呼ばれる隙間があるため、電気信号を一度ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質に変換する。これらの物質が次の神経細胞の受容体に結合すると、イオンチャネルが開き、ナトリウムやカリウムなどのイオンの流入・流出が生じ、それによって次の神経細胞で新たな電気信号が発生し、情報を伝えていく。この電気信号と神経伝達物質やイオンなどの神経化学物質を同時に測定するのは困難だ。
東北大学の郭媛元准教授の手元にあるのは、一見すると細長いワイヤ。直径は1ミリメートルにも満たない。細いものになると、手で持つとだらりと垂れるほど柔らかく、まるで糸のような質感だ(図1)。しかし、この中には電極やセンサーなどが搭載されており、電気信号と神経化学物質の同時測定が可能になるという。
ファイバー断面を顕微鏡で見ると、半透明の素材の中に構造物を見ることができる。作り方について郭さんは「金太郎飴と同じです」と話す。金太郎飴は、色が違う飴を重ね、加熱しながら細長く伸ばして切っていく。多機能ファイバーも、ポリマーの中に電極やセンサーなどを組み込み、加熱しながら引き伸ばして作る(図2)。この技術は「熱延伸技術」といい、通信用の光ファイバーを作る際にも使われている。
細くしなやかな性質を追求
商業化意識した小型装置も
郭さんは、修士課程では東北大学で電子工学を専攻し、半導体と生体分子を組み合わせた半導体バイオセンサーの研究をしていた。研究を進める中で、実際に生体内の信号をセンサーで測定したいと考えるようになったという。脳の研究に興味があったこともあり、研究分野を電子工学から医工学に変更することを決意。東北大学医工学研究科の博士課程に進学した。
郭さんは「脳の機能を測定するには、生体に優しく柔らかいファイバーが必要であり、神経伝達物質やイオンなどの神経化学物質、電気信号など複数種類の脳活動を同時に測定することが重要と考えました」と振り返る。そして、両方の性質を満たすファイバーの研究を始め、体内にファイバーを入れるために細くしなやかな性質を追求した成果が、冒頭で紹介した糸のような多機能ファイバーだ。
現在、研究室には多機能ファイバーを製造するための自作装置が3台あり、商業化を意識した小型の装置もある(図3)。生体内外の信号を測定するための電子工学をバイオエレクトロニクスというが、郭さんは、自身が命名した「バイオファイバトロニクス」にファイバーを用いて生体からの信号をキャッチしたいという思いを込めており、今後この研究分野を広めていきたいと考えている。
ファイバー1本から枝分かれ
タコ足の「3次元プローブ」
郭さんは2021年からJSTの創発的研究支援事業で「脳機能の解明に向けた多機能三次元神経プローブの開発」に取り組んでいる。脳内の信号を測定する技術はすでにいくつもあるが、従来の方法で測定できるのは脳内の1カ所だけで、1種類の信号のみ。「デバイスも硬く、脳組織にダメージを与えてしまう可能性があります」と課題を挙げる。
一方で「多機能ファイバーは化学物質、電気信号のほか、光信号なども同時に測定できます」とその優位性を郭さんは話す。そして、脳内の複数の場所を同時に測定するためのアイデアが、1本のファイバーから何本ものファイバーが枝分かれする、タコ足のような「3次元プローブ」だ。プローブとは測定装置のことで、駆動装置をプローブの中に搭載すれば、それぞれの足を精密に動かすことができ、測定したい脳領域に正確に足を伸ばすことができる。
現在、このタコ足を作るために、2つの方法を試しているところだという。1つは、ポリマーの中に電極やセンサーなどを埋め込んだプリフォームの中に接着剤のようなものを入れておき、熱延伸する時に接着剤を溶かし、多機能ファイバーをほどくようにする方法。そして、もう1つは、熱延伸する時にタコ足の軸に複数の穴を通して分岐させる方法だ。
特定物質の高感度測定に成功
脳神経疾患治療へ活用を期待
郭さんは3つの方向性を掲げ、多機能ファイバーの研究開発を進めている。1つ目は、生体内の電気的・化学的な情報を測定したり、熱・光・電気・磁気などの刺激を与えて治療に役立てたりすることだ。多機能ファイバーを活用して、脳内の電気活動を長期的に計測する技術はすでに確立している。しかし、神経細胞から放出されているドーパミンやセロトニンのうち、1種類の神経伝達物質のみを正確に測定するのは難しい。従来法では、目印として細部を光らせる必要があり、手間がかかるだけでなく、蛍光によって生体機能が変わってしまう可能性もある。
郭さんは、多機能ファイバーの電極に「アプタマー」という特別な分子をつなげることで、ドーパミン以外の物質の影響を受けず、ドーパミンだけを高感度に測定することに成功した(図4)。ただ、電極にアプタマーをつなげることにかなり苦労したという。「素材が均一であるように見えても、表面に電気化学的なばらつきがあると効率は落ちます。実験条件を何度も変えて、安定して作れるようになるまで約1年半かかりました」と当時を振り返る。
他にも、脳内恒常性を維持するためのナトリウム・カリウム・塩化物のイオン濃度を1本の多機能ファイバーで測定することにも成功している。また局所的な温度変化と体内の化学物質の変化を同時に計測するファイバーも実現した。ファイバーの役割は、生体内の物質の測定にとどまらない。「ファイバーの中にマイクロコイルを作り、そこに電流を流すと磁場が発生します。その磁場が非侵襲的に脳や末梢神経を精密かつ局所的に刺激することができ、これにより、神経疾患の治療や脳機能の解明に新たな可能性を提供するかもしれません」と解説する。

図4 神経伝達物質やイオンを測定可能な多様なファイバー 炭素電極を搭載したファイバーに、ドーパミンと結合するアプタマーを表面修飾することで、ドーパミンの選択的センシングを実現。さらに、イオン選択膜の固定によりナトリウム・カリウム・塩化物イオンの同時計測が可能。マイクロ熱電対による温度・pH同時計測機能も備える。
一方で、将来的な脳神経疾患治療への実装に向けては、安全性評価と法規制への対応、臨床現場との連携体制の構築が不可欠だ。臨床現場との密接な連携とフィードバックを通じた技術のブラッシュアップや、使いやすさ・安全性・安定性を兼ね備えた多機能ファイバーの設計を行うことが、今後の社会実装において極めて重要になってくる。
Lab-in-Fiberの実現
生体試料分析技術へ
2つ目の方向性は、生体試料分析技術、いわゆるLab-in-Fiberとしての利用だ。熱延伸をする時に水平方向にねじることで、ファイバー内の空洞をらせん状に作ることにも成功した。らせんの中を物質が通過すると遠心力が発生し、重さの違いによって物質を分離できる。また、異なる物質を混ぜるマイクロミキサーにもなると郭さんは考えており、研究を進めている。さらに、多機能ファイバー内にらせん電極とマイクロ流路を組み合わせることで、たんぱく質やDNAなどの試料を分離・分析するための、ファイバー型電気泳動デバイスの開発にも取り組んでいる。
3つ目の方向性が、ウェアラブル分野への応用だ。多機能ファイバーをより細くした結果、繊維素材としても利用できるようになった。衣服にファイバーを織り込み、皮膚に触れるようにすることで、汗に含まれるナトリウムイオンと尿酸を、衣服を身につけている人が意識せずにさりげなく検出できる(図5)。これらの成分の値を把握することで、体がどれくらい健康かを知ることができるのだ。
今後、汗の成分だけでなく、体温、心拍、脳波なども同時に計測できれば、体調の管理や疾患予防といったヘルスケアへの活用も期待できる。脳内の情報をとらえたり刺激を与えたりする生体内利用や実験装置として利用する生体外利用、そして繊維素材として用いるウェアラブル応用など。多機能ファイバーの応用先は非常に多様だ。
スタートアップ起業を準備中
好奇心大切にさらなる展開を
郭さんは、自身が開発している多機能ファイバーを事業化するため、東北大学のビジネス・インキュベーション・プログラムの支援を受けながらスタートアップ企業の創業も目指している。「私はずっと研究だけをやってきて、ビジネスにあまり詳しくないので、事業開発メンバーとやりとりしながら準備を進めています。メンバーには感謝しています」と謙虚な姿勢を見せながらも、起業に向けて動き出している。
また、日頃から多機能ファイバーのさらなる展開を想像するため、好奇心を持つことも大切にしているという。「他の分野にも興味を持っていろいろなところに出かけています。それは学会に限りません」。例として郭さんは、吹きガラスを挙げた。「加熱しながら伸ばしていくという点では、吹きガラスも多機能ファイバーも同じです。ファイバーを吹きガラスのようなアート作品にできたら面白いと思いませんか」とユニークな発想を見せる。
研究を進める中で苦労することも多いが、実験が成功した時には感動があると、郭さんは話す。そして、それ以上に感動するのが学生の成長だ。「学生から積極的な意見が出た時は、一緒に研究していて良かったと実感します」。郭さんは「これからも多くの課題に直面すると思いますが、根気強くバイオファイバトロニクスを広めていきたいです」と意気込みも語る。医療などのさまざまな分野で、多機能ファイバーが活用される日が楽しみだ。

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